世界に散らばるユダヤ教徒のコミュニティーや宗教的集団には以下がある。
イシューブ(イスラエル(パレスチナ)の地のユダヤ教徒)
ミズラヒム
北アフリカのユダヤ人(マグレビーム) Maghrebim cf.African Jews
モロッコのユダヤ人
アルジェリアのユダヤ人
フランス植民地統治下のアルジェリアでは、原住民のイスラム教徒が参政権を持たない下級市民とされたのに対し、ユダヤ教徒(セファルディム、ミズラヒム)に対してはフランスの完全市民権が付与された。このため、ユダヤ教徒はフランス本国からの入植者(コロン)と同化し、フランス語を母語とするようになり、自らをヨーロッパ人と考えるようになった。このため、アルジェリアの独立時には多くのユダヤ教徒がフランス人としてコロンとともにフランス本国に引き揚げコロンとひとまとめに「ピエ・ノワール」と呼ばれるようになった。ただし、独立以前にもフランス内地へ移住するユダヤ教徒がいなかったわけではない。これらの人々の中からはフランスで著名な歌手・俳優なども多く輩出されている。(ジダン、沢尻エリカ、クロード・ルルーシュ、エンリコ・マシアス(セファルディム)など)。
チュニジアのユダヤ人 Jews in Tunisia
ペルシア・ユダヤ人
イエメン・ユダヤ人(テイメン) Yemenite Jews
ベタ・イスラエル(ファラシャ)(エチオピアのユダヤ人)
山岳ユダヤ人(タート・ユダヤ人。ダゲスタン、アゼルバイジャン、アルメニアのタート人社会の内部)
グルジーム
ブハラ・ユダヤ人 Bukharan Jews (タジキスタンから中央アジア全土)
インドと周辺のユダヤ人 Jews in India
コーチン・ユダヤ人
クナナヤ Knanaya(キリスト教徒)
ベネ・イスラエル
ボンベイ・ユダヤ人
バグダーディ(イラク系)
マニプール・ユダヤ人(集団改宗者)
中国のユダヤ人 Jews in China
開封市のユダヤ教徒 Kaifeng Jews [1]
ヘレニスト
ロマニオット(「ローマ人」、ユダヤ系ギリシャ人)
イタリアのユダヤ教徒 History of the Jews in Italy (北部にはアシュケナジムが多い)
ツァルファーティー(フランス系ユダヤ教徒) History of the Jews in France 消滅した世代と残留者、新しい世代(諸地域・諸国からの移民)
セファルディム
アシュケナジム
アイルランドのユダヤ人 Jews in Ireland (ツァルファーティー・セファルディムとアシュケナジム)
アバユダヤ Abayudaya
レンバ族(ジンバブエ) Lembas
サマリア人
ブラック・ジュー
ハザールのユダヤ人
カライ派
クリムチャク人
ユダヤ=キリスト教徒 Judeo-Christians
メシアニックのユダヤ教徒
歴史 [編集]
古代 [編集]
旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアのウルから部族を引き連れてカナンの地(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住したとされる。彼らは「移住民」という意味のヘブライ人と呼ばれた。この付近で遊牧生活を続けたヘブライ人は、紀元前17世紀頃カナンの地から古代エジプトに集団移住するが、やがてこの地で奴隷とされる。その後、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たす(「出エジプト」)。彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であったカナン人やペリシテ人(いずれもフェニキア系民族と考えられる)を、長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、カナンの地に定着した。この頃から「イスラエル人」を自称するようになり、ヘブライ語もこの頃にカナン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。
紀元前10世紀頃、古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国したが、ソロモン王の死後、紀元前930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(「ユダヤ」とは元来、ユダ王国のあったパレスチナ南部を指す)。北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ(失われた十支族)、さらに南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われた(バビロン捕囚)。彼らはユダ王国の遺民という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるようになった。アケメネス朝ペルシアによる新バビロニア王国滅亡に伴い、捕囚のユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下で自治国として統一イスラエルが復興された。ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立された。アケメネス朝の滅亡後、古代マケドニア王国、セレウコス朝シリアなどに宗主国が引き継がれ、最終的には古代ローマの属州とされる。この頃にはヘブライ語は既に古典語となり、日常語としては系統の近いアラム語にほぼ取って代わり、のちに国際語としてギリシャ語も浸透した。また、ヘレニズム諸国の各地に商人などとして移住したユダヤ人移民の活動も、この頃に始まる。ローマ支配下の紀元20年頃、パレスチナ北部ナザレの民から出たイエス・キリストが活動した。
紀元66年からローマ帝国に対し反乱を起こすが(ユダヤ戦争)、鎮圧されてユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。ユダヤ人の自称である「イスラエル」という名も廃止されて、かつて古代イスラエル人の敵であったペリシテ人に由来する「パレスチナ」という呼称があえて復活された。以来2000年近く統一した民族集団を持たず、多くの人民がヨーロッパを中心に世界各国へ移住して散らばった。以降ユダヤ教徒として宗教的結束を保ちつつ、各地への定着が進む(「ディアスポラ」)。その後もパレスチナの地に残ったユダヤ人の子孫(恐らく農耕民の大部分)は、多くは民族としての独自性を失い、のちにはアラブ人の支配下でイスラム教徒として同化し、いわゆる現在の「パレスチナ人」になったと考えられる。
中世 [編集]
ヨーロッパ各地に散った後もユダヤ人はユダヤ教の信仰を堅持したため、キリスト教徒から差別的な扱いを受け、土地の所有や職人(ギルド)への弟子入りが許されなかったが、才覚があったためキリスト教で禁止されていた金融業や商業などを発達させた。(ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』に登場する金貸し、シャイロックもユダヤ人である。) 13世紀になってキリスト教徒とユダヤ教徒との交際が禁止されるなど、ユダヤ人は迫害を受けるようになり、社会不安が高まるごとにユダヤ人は迫害の対象とされていき、公職追放なども行われた。 その後、特に14世紀のペスト大流行の頃からユダヤ人に対する弾圧として、ヨーロッパ中で隔離政策が取られるようになっていき、教会から離れた場所に設けられたゲットーとよばれる居住区に強制隔離されることが一般化した。
7世紀?10世紀にカスピ海北部にハザール王国が出現し、ユダヤ教を国教とした。
近代 [編集]
19世紀後半に入ると古代に祖先が暮らしていたイスラエルの地に帰還してユダヤ人国家を作ろうとする運動(シオニズム運動)が起きた。この運動は第二次世界大戦時のホロコーストをきっかけに盛んになり、後のイスラエル国家建設に繋がっていくことになる。
「ユダヤ人」は世界に離散後もそのほとんどがユダヤ教徒であり(キリスト教やイスラムに改宗した途端、現地の「民族」に「同化」してしまう)、ユダヤ教の宗教的聖地のひとつであるイスラエルの地に帰還することもその理由の一つである。
イスラエル建国以前はイスラム教徒とユダヤ教徒は共存しており信教の自由も存在していた。 また、シオニズム運動によって入植したユダヤ人が古代ユダヤ人の子孫であるのかは疑問視されており、アラブ諸国では彼らはハザール人の子孫であり古代ユダヤ人とは無関係であると信じられている。
年表 [編集]
313年 - ミラノ勅令(ローマ帝国で、これまで弾圧を受けていたキリスト教が公認される)
392年 - ローマ帝国がキリスト教以外の宗教を禁止
529年 - ユスティニアヌス1世、アテネの哲学院(ギリシア哲学)を閉鎖
622年 - イスラム教が成立
6世紀?8世紀頃 - 東ローマとササン朝が全面戦争。ユダヤ人の一部が大挙してアラビアに移住。新都市の建設に協力するが、イスラム教への改宗は拒絶した。その為、短期間、迫害を受ける。
7世紀以降 - イスラム教徒がイベリア半島に進出するに伴い、メソポタミア地方、シリア、小アジア、エジプト、そして勿論マグリブのユダヤ教徒がイベリア半島に移住(セファルディム、ジュデズモ語を参照)
10世紀 - アシュケナジムがライン地方に定着(詳細はアシュケナジム、イディッシュ語、中欧のユダヤ教徒の歴史を参照)
11世紀
十字軍、イスラム帝国分裂の結果、中東のユダヤ教徒が弾圧され、多くがヴェネツィアに移住
カトリック教会がユダヤ教徒をほとんどの職業から追放
この結果、キリスト教が禁止している職業(質屋や金の保管人、両替商などの利子を扱う職業)などにユダヤ教徒が就かざるを得ないことになり、結果的に金融業・銀行業を発達させることになったといわれる(ユダヤ教は異教徒から利子を受け取ることを許している)。このころからユダヤ教徒への偏見・中傷が芽生える。
1246年 - ミンダウカス、リトアニア大公として即位
14世紀初め - ヴワディスワフ1世によってポーランド再統一
1386年 - ポーランド、非キリスト教国であったリトアニア大公国から大公ヨガイラ(ヴワディスワフ2世)を国王に迎え入れ、リトアニアと連合(ヤギェウォ朝)
1453年 - オスマン帝国軍、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリス(現在のイスタンブル)を陥落させる。オスマン帝国では、この後、ユダヤ難民を受け入れ、ヨーロッパ世界とは異なり、基本的には非ムスリムに対する差別を禁止する、国家による平等社会が整備された
15世紀 - レコンキスタの進展によりスペインのイスラム勢力がキリスト教勢力に追われ、イスラム教国に協力したとされたユダヤ教徒が弾圧される。一部はキリスト教に改宗し、1492年改宗を拒否したユダヤ人は追放され、多数が地中海周辺の都市に移住。改宗したユダヤ人は、スペインにおいては差別はなくならず、マラーノと呼ばれ蔑まれた。
1569年 - ルブリン合同
1648年 - ボフダン・フメリニツキー(ウクライナ・コサック)の反乱
1772年・1793年・1795年 - ポーランド分割
1786年 - ユダヤ教徒居住区(Jewish Pale, čerta osedlosti)設置
18世紀末 - フランス革命:ユダヤ教徒の権利向上の動きもあり、ユダヤ教徒への弾圧が弱まって行ったが、逆に新反ユダヤ主義が芽生える面もあった
1789年8月26日 - 人間と市民の権利の宣言
1800年代 - ナポレオン戦争
1881年 - アレクサンドル3世即位。ユダヤ教徒弾圧始まる
1883年 - ロシア、イディッシュ演劇の上演禁止(オーストリア・ハンガリー帝国ではこのようなことはない)
19世紀末
東欧で続く弾圧から逃げるため、東欧のユダヤ教徒がパレスチナ(イスラエルの地)に移住し始める。ロスチャイルド家から移住の費用が補助されたといわれる。これが、後のイスラエル建国へとつながる。テルアビブの都市建設などが始まる
ドレフュス事件が起き、シオニズムが活発になる。フランス軍のユダヤ人大尉がスパイの冤罪を着せられた事件
1908年/9/14 - イズレイル・ザングウィル、アメリカのアイデンティティに対し「メルティング・ポット」論(原型が溶かされて一つになる)を唱える
1914年 - ホレイス・カレン Horace Kallen(ユダヤ系)、アメリカのアイデンティティに対し「サラダボウル論」(それぞれの形の色と形を留めたままで共生する社会)を唱え、文化的多元主義(cultural pluralism)を提案する
1918年 - ポーランドが西ウクライナ人民共和国を武力で亡ぼし、東ガリツィヤ(ハルィチナー)をはじめとする一帯を領有
1930年代 - ドイツの独裁体制ナチスによる人種論と「ユダヤ人」の虐殺(ショア、ホロコースト)が行われ、ヨーロッパから数万人のユダヤ人がパレスチナに移住する。600万人以上のユダヤ人が死亡したとされる
1948年5月14日 - 国連決議181号に基づきイスラエルの独立宣言
1965年 - 多文化主義(Multicultur(al)ism)が提唱される
1990年代 - ソビエト連邦の崩壊によりソ連に住んでいたユダヤ人が大量にイスラエルに移住
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