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ジェームズタウンの虐殺

1621年、入植者に「羽根のジャック」として知られていたパウハタン戦士の将軍が入植者を殺害し、その従者に銃で射殺される事件が発生した。それをきっかけに、パウハタン族の指導者オペチャンカナウは入植者勢力の拡大を軍事的・文化的脅威と見なし、入植地に対する全面攻撃を決断した。1622年3月、オペチャンカナウはジェームズタウンに奇襲攻撃を仕掛け、バージニア植民地の全入植者の約3分の1にあたる約347人を殺害した。入植者はパウハタン王国とは戦争あるのみという意識で団結し、バージニア会社の幹部もそれに賛成した。

バージニア植民地では、タバコによる恩恵をこうむるようになっても、安定した状態にはならなかった。またバージニア会社でも当初期待されたほどの利益は上げられなかった。先住民族との関係も、ジェームズタウンの虐殺以降、全面的な対立姿勢が続いた。こうした状況の中、国王ジェームズ1世は1624年にバージニア会社の勅許状を廃止し、バージニア植民地を王領植民地とした。

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バージニア植民地にはそれまでに約8500人の入植者があったが、そのときの人口は1275人であった。バージニア会社による植民事業はまったくの失敗であったが、年季契約奉公人の使用、人頭権による土地配分、議会の招集など、困難な創設期に採用された方策は植民地社会に根を張っていた。これらの初期の慣習と、苦難を乗り切った入植者の気質とにより、入植者には自立的傾向が芽生えた。

王領植民地となったバージニアに対し、国王は総督と評議会を任命したが、植民地の議会には承認を与えなかった。だがバージニア植民地では住民代表による議会が毎年開催された。1634年には議会の決定により地方制度として郡制が採用された。これによりバージニア植民地は8つの郡に分けられた。各郡には郡裁判所が設置され、治安判事が行政と司法にあたることになった。この制度は、他のいくつかの植民地でも採用された。

その後チャールズ1世の時代となった1639年、国王は植民地議会を正式に承認した。

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2009年04月30日 11:45に投稿されたエントリーのページです。

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